大正〜昭和にかけて

次いで、大正十四年七月には遊行六十五世他阿尊上人を招請して入仏式を執行、圓福寺の世代について下の通り定められた。

茨城県磯原町圓福寺移転前後之事滑に進行し勝地の寄付を得て本堂庫裡全く成就したるは宗門の為不堪喜是れ御先代上人以下当事者の功労なり。依って世代を左の通り相定め永く其恩徳に報謝すべき者也。
   中興開山第一世 遊行六十四代尊昭上人
   中興開山第二世 横浜浄光寺住職桑畑静善
   中興開山第三世 茨城県浄光寺住職古川察輪
   中興開山第四世 圓福寺住職茅根察瞭
            大正十四年七月二十三日
                南無阿弥陀佛
                    遊行六十五世他阿尊光

昭和5年頃の圓福寺全景(左)と昭和10年頃の静修学舎(右)

併せてその翌日には、当時の東京商業会議所議員で茨城採炭株式会社社長阿部吾市氏の講演会並びに天妃山麓東海岸に於ける水難横死者の追悼大法会等が盛大厳粛に行われた。

昭和八年には有志の寄付により圓福寺境内一八〇坪の敷地に静修学舎の校舎六十一、五坪が建設された。(それまでは本堂の一隅で寺子屋式の授業が行われていた。)

昭和〜現在まで