平成二十二年も間もなく終わろうとしております。皆様におかれましてはどのような一年だったでしょうか?
今年も檀信徒の皆様方との悲しいお別れがございました。また逆に新しい命の誕生や出会いにより深いご縁もいただきました。決して人の手でくい止めることの出来ない別れと出会いをあらためて痛感し、繰り返す永遠の御霊を目の当たりにした一年でした。
喜びが多かった方は・・・喜びの余韻を楽しむと共に、新しい幕開けに備え、悲しみ苦しみが多かった方は・・・これからの人の優しさに感謝出来ることと思います。
良くも悪しくも、絶え間ないご縁により、この一年分皆様は成長させられたのでしょう。多いに笑って、泣きたい時は泣きはらし、逞しく生きていくお智恵を仏様よりいただいたのですね。
この私も、皆様に助けられ、支えられた一年でした。一年分の感謝を持って御礼申し上げます。誠に有り難うございました。
そして明年も変わらぬお付き合いの程、伏して宜しくお願い申し上げ、年末のごあいさつとさせて頂きます。
合掌 茅根 修繕
平成22年12月2日
一年中で最も快適な季節に営まれるお彼岸は、日本独特の仏教行事です。この彼岸の行事は、一説によりますと聖徳太子が大阪の天王寺で始めたと云いますが、平安時代にはすでに年中行事になっていたようです。。
彼岸会は、昼夜の時間を同じくする春と秋の二分の日を「中日」として、前後三日間の七日間、主として一般の人々が仏道を修する縁をもつための期間です。
『彼岸一日の善根は、他日の100日の善根に勝れ、彼岸七日の善根は、700日の善根に匹敵する』とも云われ、仏教行事としては、お盆や施餓鬼と同様に最も人々に親しまれています。。
「彼岸」とは、インドの古語(波羅蜜多)を訳したもので、「向こう岸に渡る」とか「正しい知恵」という意味です。向こう岸は仏様の世界であり、真実の世界を表しています。こちらの岸は、私たちが生きている世界です。
こちらの岸と向こう岸の間には、大きな河があります。この河には、とうとうと水が流れていて、渡ろうとする人々を煩悩という大きな力で押し流してしまうのです。
私たちが、明るく・正しく・穏やかな真実の世界を望んでいながら、つい煩悩という強い水流に押し流されてしまい………、この迷いの世界から一歩も抜け出せずにいる………、これが現実です。
その、彼岸に渡るための六つの行いとは………。
(布施行)(持戒行)(忍辱)(精進)(禅定)(智慧)
という行いです。御本尊をはじめ、御先祖さまに香花などを供え、その御照覧のもとで、もろもろの徳を積んでいく………、それが彼岸の本来の姿です。
合掌
平成22年9月23日
来月は秋のお彼岸です。彼岸というのはご先祖を思うということです。今日ご先祖を忘れるということは、自分自身が子孫から、子供や孫から忘れられるということと同じです。子供から見れば、自分が一番身近な先祖なのです。いい換えれば、お父さんが死んだら、お母さんが死んだら、こうしてあなた方も思い出してくださいよ、という道を自分の身をもって、子供に残している姿なのです。
数十年前までは、本家より分家するときは必ず仏壇と神棚を持って分家するのが常識という日本人の歴史がありました。ご先祖の心、家の歴史を分かち与えるところに分家本来の意味があったのです。それが途絶えてしまっている現在、この習慣を急いで復活する意義は大きいと思います。
仏壇がなければ一枚の仏像写真でも結構です。身近な先祖の写真でもいいから飾ってお線香を上げるのです。線香って臭くていやという人は、安価な物を使っているからではないでしょうか・・・。沈香の入った上等のものはアロマセラピーにも使われるくらいです。 そして、お茶やお水を上げてください。コーヒーでもココアでもよいでしょう。それをあげて「おはようございます」「いってまいります」「ただいま」「おやすみなさい」と、親がすれば子供も必ずまねて手を合わすようになります。
戦後日本の繁栄と豊かさの中で、どうも物的な面にはあらゆる創意と工夫を働かせますが、心の養いをなにも考えようとしてこなかった。ここに日本人のひとつの大きな不幸があるのではないでしょうか。楽して得とることばかり考えていたのが最近の日本人と思えてしかたありません。けれども最小の効果のために最大の努力を惜しまない。そういう人間精神の大切さというものを、私たちは仏さんから教わってきました。それを改めて見直す良い機会として、このお彼岸をお迎えください。
合掌
平成22年8月10日